応援するって?
あるメルマガにちょっといいなと思う文章が載っていたので、シェアしたいと思います。
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■ 誰かを応援するときに意識すること
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先日、仲間のKさんとあるテーマでちょっと話をした時、
こんな会話になりました。
「Sさんはさぁ、誰かを応援するときに
具体的にどんなことを意識して、どんなことをする?」
「そうですねぇ……、
やっぱり、まずはその人のゴールを知るってことかな。
相手がどこへ向かっているのか、何を目指しているのか」
「おぉ、なるほど……ゴールを知ることか」
「それを知って、
それで自分ができることから行動する……かな。
まずはすぐにできそうなところから」
「すぐにできそうなところから?」
「そう、
無理ない範囲から動き始めて、さらに積み重ねる。
いやできていないこともたくさんありますけどね……」
「なるほどね」
「ところでKさんは?」
「僕はね、一言でいうとその人の”ロイター板”になること」
「ろ・い・た・ー・ば・ん???
って何?」
「ほら、跳び箱を跳ぶときの板あるでしょ?
踏切板って言えばいいのかなぁ」
「あーぁ、あれね、ロイター板、そう言うんだね。
そう言われればなんとなく思い出してきた。
で、なんでロイター板なの?」
「ほら、あれがあるおかげで高い跳び箱も跳べるじゃない!?」
「まぁ、そうだね」
「でもさ、跳ぶのはその人本人でしょ?」
「うん、そうだ!」
「
その人が僕のことを勢いよく踏んでいかないと何の役にも立たない
でもその人が自分の足で踏みきってくれれば僕は少しだけ応援する
「なるほど……深いなぁ」
「僕(=ロイーター板)が跳び箱の前に置いてあれば、
高い段数にもチャレンジしてみようって気になると思うんだよね」
「確かに……」
「でも勇気を出せずに僕の手前で止まっちゃったり、
僕の上で力を抜いちゃうときもあると思うんだ」
「うん、あるある」
「そんな時でも僕はその人を信じて、ただそこで待っているだけ。
大丈夫だよ、いつかは跳べるよって、もっと強く踏んでいいよって
ただそこにいて励ます」
「おっ、いいね!」
「それにさ、
他の子どもたちもオレもって思ったりもするじゃない?」
「そうだね。
ロイター板かぁ……いいね」
「なんか僕、子どものころから好きなんだよね、
だからオレのことをどんどん踏んで、蹴っていってくれ~
「なんだか踏んだり蹴ったりなのに楽しそうですね」(笑)
という感じでした。
思いのほか深い話になったんです。
自分の足で踏み切らない限り、何の助けにもならない。
でも勇気を出して強く踏んでくれた時にはその人をサポートする。
そして地味だけれども、その存在が勇気を出させる。
言いえて妙だなぁと思いました。
あなたのロイター板になってくれた人、
あるいは今現在なってくれている人は誰でしょう?
そして、あなたは誰のロイター板になりますか?
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こんな応援の仕方出来ているかなって・・・
押し付けがましくなってないかなって・・・
そもそも私は人の応援をホントの意味でしたことがあるのか?
ちょっと考えてしまいました。